NKS.tokyo - a.k.a Syun Nakano

DJであり作曲家の人のブログです。DTMの事を書いたり、イベント告知したりします。友達は大切にしような。

ギ!ミッシェルガン・ヒルアンドン

実は全然よく知らないけれど知った風な顔で書いてみるブログ

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西部邁っておじいちゃんが入水したってニュースを見かけて「あー、やりかねねえ」という事で話題を受け止めたのですが、そのあとTwitter眺めてたら「こいつらどう見ても喧嘩してたよな」って相手からお悔やみだとかが届いてるのを見ると「面白い人だったんだなー」と思うことしきり。僕は正直この人のことよくわかんないけど大衆批判と伝統主義者だったっていうのは知ってるつもりだし、元々左翼だった事くらいは知ってるというか。

大衆批判とかそういう話になると、昨今のクソ週刊誌の話にもつながるような気がする。ただ、この爺さん、大衆批判というやつはしてても人の営み自体は大切にしてたはずで「知識人なんて村はずれの狂人だ。自分の知識が必要ないっていうんなら山に戻って思索にふけるしかない」って言ってたはず。大衆とはどういう事なのか?考えさせられる話でもあります。

伝統というのも…和書の話はあんまりしてない印象があるんですけど、どうなんでしょうか?伝統主義ってなんだろうね?って思いますけれど、要するに人間が脈々とバトンを引き継いできた知そのもの(場合によっては常識)の話なんだろうかね、と思ったりします。

僕なんかでもこの年になってストリーミングとかで音楽聴きまくってると「なにかを思い出した。しかも決定的に新しい」と思えることがずいぶん増えてきたんですけれど、まあ、伝統に接続するってのはそういうことなんだろうな、と。

感性云々だけを過信せず、自分の身の回りだけを過信せず、きちんとした何かから歴史や伝統に繋がるってことなのかも。これは僕程度の音楽リスナーでも感動の度合いが段違いになる体験だったから。音楽聴く態度としても考えてみて欲しかったりするっす。ちょっと知ってるだけで段違いに面白いから。

そういうのがあれば「日本のここがすごい!」とか「自分以外を貶めてみる」っていう、ネトウヨさんみたいに無理矢理な何かを引っ張り出してこなくたっていいのかもしれない。日本のここがすごい!ってまた流行り出してるけど、なんていうかさ、アレってあんまり伝統にコネクトしてない感じがするから好きじゃないんだよね。なんかGoogle検索みたい。自分が見たい情報をまとめたみたいな感じがしちゃってね。

文春のやつ見てるとさ「大衆」批判したくなるのは事実なんだけど、僕は今年の初めになってようやく13の理由とか見ちゃってるので「なんていうかもう、こういうのってどうにもならん。そういうのをばらまく方が根本的に間違ってる。需要があるから仕方ない、それでいいのか?」と思ったりもする。

ただどうもここ数年こういうの売れ過ぎる。ご時世的に人が弱っちゃってるのはあるのかもしれない。スーパー疑心暗鬼。けれどそれって国民性とあまり関係ないから、冷静に考えていく必要があるかのう。シンプルに「ダメなものはダメ」ということも必要かもしれない。

まあ、一応表現活動だからダメじゃないんだけどさ・・・

そもそも「そういう怒りが君を幸せにしたか?」みたいな事があるわけで、これは僕の好きな映画のアメリカンヒストリーXで出てくる台詞なんだけど、何かを幸せにしたかね?そういうの。そしてネタのクオリティが低くなっててもはや適当なネームバリューだけで仕事しちゃってる感があるから、全然ダメだなと思う。これはもう全然ダメだろう。っていうかもうつまんないし、この世にはもっと楽しいコンテンツが沢山あるからそっちに時間とお金さいていってほしい。日本の経済とかコンテンツに一切寄与していないと思う(笑)。だってそうじゃん。雑誌の世界を敵に回しちゃうのかな?(笑)でももっといい記事とかあるじゃん?って思う。ペーパーじゃないとわかんないことも沢山あるし。numberは最高。

正しく伝統と繋がり、正しく人とつながる。人は弱いし団結する強さもあるけれど、単なる熱狂だと思えたらそれを疑ってみたいところ。

熱狂の中に身を置いてそれをやれるかな?今年はそういうこともあるかもしれないからねえ。

-ギ!ミッシェルガン・ヒルアンドン

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